3月18日 (木)  ナヌムの家を訪問

3月18日(木)
ナヌムの家を訪問。ニョンニョさんの友人で、金浦の小さな教会の牧師さんチェホビョンさんとそのご婦人が、わざわざ車でナヌムの家まで案内してくれました。
ナヌムの家には、去年の4月に初めて訪れ、5月のオボイナル(父母の日)に矢野さんと一緒に訪れて歌い、今回は3回目の訪問になります。昨年の7月のソウル公演の時は、バスに乗ってみんなでコンサートを観にきてくれました。

最初の訪問の時、お茶と和菓子を持っていったのですが、職員の方に「おみやげは、できればひとりにひとつずつ」と言われてしょんぼり。次の訪問の時は、ハンカチを人数分持っていったのですが、「あっちの模様の方がきれい」と言われしょんぼり。今回こそは、と思って小さな小銭入れをおみやげに持って行ったのですが、数がそろわず、やっぱり「あっちの方が・・・」と言われ、またまたしょんぼり。次回は絶対失敗しないようにしよう。

現在、ナヌムの家には9人のおばあさんたちが暮らしています(私は、亡くなった母と同じくらいの年齢の彼女たちをいつもオモニと呼んでいます)。
年々高齢化が進み、あちこち身体の具合が悪くなる方も多いようです。去年はお元気だったひとりのおばあさんは、体調を崩して入院中に病院の看護ミスで足に低温火傷を負い、24時間看護が必要になってしまったため、そのままナヌムの家には戻れなくなってしまったそうです。
医療看護設備の整った施設を併設するために、ナヌムの家の隣に敷地は購入したものの、資金が無く、施設を建てる見通しはまったくたたないそうです。
日本で、施設建設のための支援コンサートを年内にできたら、と思っています。

事務所で職員の方と話していたら、イヨンスさんが入ってこられてびっくり。イヨンスさんは、数年前にナヌムの家を出られ、今はテグ(大邱)に住んでらっしゃいます。6年前に私の住んでる葛飾の町に講演をしにいらした時に初めてお会いして、その後、私が講師を務めていた南葛飾高校にも、生徒たちに話しをしに来てくれました。
講演会の打ち上げで、「将来弁護士の資格を取って、法律の専門家として従軍慰安婦問題を解決したい」とおっしゃっていた言葉が深く印象に残っています。

5時からの夕食を一緒にご馳走になって(蠣とほやのお刺身、おいしかった!)、史料館を駆け足で見学して、きっとまた遊びにきますとみなさんに約束して、ナヌムの家を後にしました。

従軍慰安婦問題は、韓国人にとっても、日本人にとっても、暗く深い傷痕として残っています。
数年前の東京でのコンサートの時に、「あなたの歌が好きだったのに、ステージからカミソリを投げつけるなら、僕は日本刀で切り返す」というアンケートが返ってきました。従軍慰安婦をテーマにした、ハンドルさんの「トラジの花」を歌ったことに反応した言葉です。
「トラジの花」を歌う私や、聴くあなたの「痛み」がいったいどれくらいのものだろう。戦争によって直接傷ついた人たちの痛みを、どんなに想像力を働かせても、同じように痛むことはできないかもしれない。
でも、あなたは私だったかもしれない、という感覚を失わないために、またオモニたちに会いに行きたいと思います。

写真(ちょっと大きすぎ。ごめんなさい)
左から、神宮寺のみさちゃん、コムンゴの天才少年ジョンゴニ、ホビョンさん、そのご婦人(名前を失念、ごめんなさい)

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