3月26日 (金)  大阪・布施 サランバン ミニコンサート

前日の米子市大山町でのトーク&コンサート(一人でした)を終えて、朝8時過ぎのバスに乗って、大阪に向かう。
夜のライブの前に、もうひとつ大切なコンサート。大阪のファン、ヨルチャさんとチャンジャさんがお手伝いしている、在日のオモニたちのたまり場?サランバンに、以前から大阪に寄った折りに必ず来て欲しいと言われていた。サランバンは、在日一世のオモニたちが毎日集い、文字の勉強をしたり、お昼ごはんを食べたり、花札をしたり、世間話をしたりする憩いの場だ。
お昼過ぎに大阪に到着し、きみえさん、にっしゃんの案内でサランバンに到着。お昼ごはんを終えたオモニたちは、コンサートが始まるのを心待ちにしていてくれた。
前日大阪方面で仕事を終えた矢野さんも応援に来てくれて、コンサート開始。知らない歌ばかりで、オモニたちあきるかなぁ、と心配しながら、「京成線」をうたう。うたいはじめた途端、何故だか涙があふれてきて止まらなくなってしまった。オモニたちの顔を見ながら、自分の母のことを思い出してしまったからだ。
私の母は、私が18歳の時に54歳の若さで亡くなった。今生きていれば、サランバンのオモニたちと同じくらいの年齢だ。在日の女たちは、学校へ通いたくても通うことができなかった人たちが多い。私の母も、一度も学校に通ったことがない。家業のバタ屋をひとりで切り盛りしながら、7人の子どもを育て、自分のためにお金も時間も使うことがないまま亡くなってしまった。もし今母が生きていたら、サランバンに集うオモニたちのように、文字の勉強をしたり、おしゃれをしたり、気の合う仲間と楽しくおしゃべりをしたり、そんな風に楽しく過ごせたかもしれない。
気を取り直して、「私と小鳥とすずと」を手話(というよりお遊戯ですね)をしながら歌う。それ以降、オモニたちは私の手振りをそのままマネして一緒に歌ってくれる。みんなの顔が輝いていて、私の心もどんどん明るくなっていくようだ。
「木浦の涙」、「サランヘ」、「ミリャンアリラン」もみんなで一緒に、「オギヤディヤ」は船を漕ぐオーバーアクション付きで大合唱。
こんなに盛り上がるとは...
最後に最年長(94歳)のオモニに「いつまでもお元気で...」と花束をいただいた時は、腰が抜けそうになった。
コンサート終了後、サランバン定例の「今月のお誕生会」。丸いデコレーションケーキが五つ。均等に切るために、ナイフを持つスタッフの手が緊張でふるえる(不公平に切るとオモニたちのリアクションが恐いからね)。私もオモニたちに混ざって、ケーキとお茶をご馳走になる。
午後3時。そろそろ夜のシュガーベイブでのライブのために移動しなければいけない。お別れに「イマココニイルヨ」をみんなで歌ってサランバンを後にする。オモニたちに、またきっと遊びにくることを約束して。

東京に帰ってきてから、チャンジャさんから届いたメールです。

私とヨルチャの夢だったんです。
いつか、ちょんみさんに、サランバンでうたってもらうことが。
こんなに早く実現するとは思いもよりませんでした。

シュガーベイブの「京成線」は今まで聴いた事もないくらい素晴らしかったけれど
さらんばんの「京成線」の歌の重さは
イルボンサランの私は語れないと思いました。

今日もさらんばんでハルモニが
「あの曲聴いて、ほんとにアボヂが見えてん。
 私、気いおかしなったかと思ったわ」といいながら、涙を流していました。

スタッフのキムヤンスン(一番若い子です)と言ってたのですが
26日のコンサートハルモニbest3

1、(これはちょんみさんも御存じ)
  最年長(94歳)のハルモニのちょんみさんに対する言葉
  『いつまでも・・いつまでも・・お元気で・・・頑張って!!』

2、『すずと。。』で手話した後、他の曲でも
  大半のハルモニがちょんみさんの一挙一動をずっと真似し続けて
  ちょんみさんが、胸に手をおけば、みんな手をおく・・

3、女帝「イ コリョン」さん(ちょんみさんと煙友してたマダム)が
  「イヂョンミさんに、服買ってあげやなあかんね・・
   シャツがのびとった」
   
チャンジャさん、ヨルチャさん、大阪のファンのみなさん、どうもありがとう!

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