3月16日 (月)  甥の挑戦

甥のボクシングプロデビュー戦を観に後楽園ホールに行ってきた。
プロデビューと言っても甥はもう34歳。朝鮮高校時代はボクシング部で同級のホンチャンスと一緒に練習した仲らしい。
去年の秋頃からまたボクシングジムに通い始め、今日のデビュー戦のために減量をし、毎朝荒川の土手をランニング、昼過ぎからジムで練習、夕方からは母親の韓国料理店の手伝いをしながらがんばってきた。
冷ややかな母親の代わりに、私くらい応援してあげないとかわいそうで、ドキドキしながら会場に向かった。
道すがらボクシングと言えば千代さんだなあと思いながら会場に着くと、ホールの入り口でなんと、千代さんがお母さんと一緒に彼の本「一拳一会」(星雲社 /2000円)を売っていた。久しぶりの再会。
千代泰之さんは、金沢の山元加津子さんのつながりで知り合い、コンサートにも何回も遊びにきてくれた。確か 3年くらい前に姉のお店にもボクシングの仲間たちと来てくれて、甥とボクシングの話で盛り上がったことがある。
彼は、20歳の時にオートバイ事故で首の骨を折って四肢麻痺になり、以来車椅子の生活をしている。はじめて会津のコンサートに来てくれた時も、次に小松のコンサートに来てくれた時も、きれいな若い女性ボランティア数名に囲まれて、周囲の羨望の的だった。今日も、やっぱりかわいい若い女性がかいがいしくお世話をしている。
いよいよ三試合目、甥の登場だ。千代さんもホールの中に入ってきて応援してくれる。私も車椅子の特等席の隣に陣取って緊張ぎみの甥を見守る。「イベリコ・ユン」のファイティングネームはちょっとふざけすぎ。黒のトランクスには、貝原画伯の赤いとんがらしのロゴが。
ゴングが鳴って威勢よくリングの中央に飛び出した甥は、数発パンチを連発するが、その直後相手の強烈なパンチを三回あびた。バスッ、バスッというものすごい音に体が凍りそうになる。甥の動きが一瞬止まって、そのままレフェリーがかけよりあっけなくテクニカルKOを言い渡されてしまった。1分36秒だった。
甥はしばらくボーッと立ちすくんだまま事態をのみこめないでいるのか、アナウンサーが勝者宣言をしているリングの中を数歩さまよった後、くやしさとみじめさで歪んだ顔のまま、リングを降りていった。
甥の無念に私も涙がこぼれた。
殴り合いは大嫌いだし、もしも自分の実の息子だったら絶対に止めたかもしれない。けれど、今日の試合を観て、彼がなぜ戦いたかったのか少しだけわかるような気がした。戦う相手は自分自身だったのかもしれない。何かを越えるために、生命を燃やしたかったのかもしれない。そんなことを考えながら家に帰ってくる途中、甥から電話が。
「あ〜、イモニム、ゴメンゴメン、負けちゃった〜。オレ、もう消えてしまいたい!」といつもの軽い調子。そう、あんまり深くものを考えるタイプの人間ではなかった。
でも、ヒジョニ、君はギリギリがんばったよね。イモニムは誇らしかったよ。