5月1日 (日)  宮城被災地ツアー

宮城被災地ツアー その1

4月23日から、三カ所の障害者福祉作業所のお菓子と、ファンの方たちから預かった支援の物資をワゴン車いっぱいに詰め込んで、南三陸町と気仙沼に歌いにいってきた。
3月11日の大地震で大きな被害があった宮城県には、たくさんの友人、知人が住み、コンサートで訪れた場所がたくさんある。東京でも大きな揺れを感じた直後に津波のニュースを聞いた瞬間、いくつものなつかしい人たちの顔が頭をよぎった。
とりわけ南三陸町志津川には、私の最も親しい友人・杉田徹さんの家族が住んでいて、十数年前から毎年のようにコンサートを開いてくれている。今回の地震で亡くなった方たちの遺体安置所になっていた志津川の「ベイサイドアリーナ」は、オープンした年の1998年にこけら落としのコンサートで歌った思い出の場所だ。
そして、やはり大きな被害にあった気仙沼市には、徹さんの家でのコンサートで初めて私の歌を聴いて以来、熱心なファンになってくれた鈴木さんご夫妻が仲間達に呼びかけてくれて、ここ数年ほぼ毎年歌いに行っている。
地震から数日間友人たちの安否が確認できずに居ても立ってもいられない日が続いたが、徹さん一家の無事は4日目に、その後一週間くらいの間に、気仙沼の鈴木さん夫妻、小野寺弁護士夫妻、歌津の頭領佐藤与一さんはじめ、徹さんの仲間達の無事が次々に確認できて、胸を撫で下ろした。
すぐにでも被災地に駆けつけたい気持ちが募ったが、震災後はじめて電話で話した徹さんには「ボランティアはいいから、この惨状を目に焼き付けにおいで。ちょんちゃんの仕事は歌うことだから」と言われた。
被災地に歌いに行こうと決心したのは、4月初旬に朝日新聞に載った佐藤与一さんの記事。自らも家を流されたけれど、避難所の世話役として大活躍している与一さんは、マスコミ受けする風貌なのかテレビの画面にも何度も姿を現した。新聞記事には「ラジオから流れてくるビートルズのナンバーを聴いて涙を流している。生の歌が聴きたいなあ」というようなことが書いてあった。
無事を確認して喜びあった気仙沼の鈴木さんも、何か必要なものは?という問いに、「ちょんみさんの歌が聴きたいなあ」と。
地震から一ヶ月が過ぎてある程度お腹が満ちて来た頃、心を満たす音楽が必要かもしれないと思い、南三陸町と気仙沼を訪れることに決めた。昔の紙芝居のように、聴いてくださるお客さまにはお菓子とお茶を一緒にいただいてもらって。
お菓子は、今までお世話になった障害者の作業所三カ所に声をかけたら、快く請け負ってくださり、そのうち二カ所からは無料で提供していただいた。
それから、ガソリン代や高速料金、支援物資などの購入のために必要な資金を捻出するために、4月17日に駒込どぅたっちで急遽ライブをすることになった。告知からライブまで一週間余り、どれくらい集まってもらえるか心配だったが、参加者は56名。チケット収入、カンパを含めて265,500円のお軍資金が集まった。
また、HP掲示板での呼びかけに、たくさんの衣類や支援物資が集まった。
世田谷・パイ焼き窯、深谷市・あゆみ作業所、函館・虹と夢のみなさん、ありがとうございました。駒込どぅたっち・陽子ねえねえ、ありがとう。カンパ、物資、心を送ってくださったみなさん、どうもありがとう!




収支報告です。

収入
ライブチケット代・カンパ 265,500-

支出
ガソリン代 21,280-
高速代 9,700-
お見舞金 180,000-
お菓子 25,000-
食料品、支援物資等 27,540-
水タンク 3,980-
雑費 13,720-

合計)281,220-

△15,720

*5月8日に、函館の「虹と夢」から25,000円のカンパが送られてきました。
したがって、9280円の黒字となりました。ありがとうございます。