5月3日 (火)  宮城被災地ツアー その3

4月24日午前8時半、徹さんの家を出発、無惨な傷痕をさらす志津川と歌津の市街地を通って気仙沼に向かう。唐桑に住む鈴木さんご夫妻とその仲間たちが、唐桑の二カ所で私のコンサートを準備してくれている。
午前10時過ぎ、午後一時からの会場・唐桑小学校に到着。鈴木さんの妻の千春さんと再会を喜び合い、地元の方の案内で、今日の二つ目の会場、鮪立老人憩いの家に向かう。
老人憩いの家には、鈴木賢さんはじめ、いつも私のコンサートを主催してくれるブルーフィン早馬のみなさんが待っていてくれた。ブルーフィン早馬の仲間の内6名の方が津波で家を失ってしまった。こんな時にコンサートとは...。鈴木さんご夫妻も、ブルーフィン早馬のみなさんも、自らが被災しながら地域の方々のために一生懸命だ。このコンサートもチラシを作ったり、あちこちに宣伝したり、大張り切りである。
大船戸のイケメンギタリスト・石橋君に音響のセッティングを手伝ってもらってサウンドチェックを済ませ、今日最初のステージの唐桑小学校にとんぼ返り、音響機材セッティング、サウンドチェック。
千春さんのお姉さんのルミさん、娘さん、他なつかしいみなさんと再会。持ってきたお菓子、お茶を配る準備をする。それから、前日配るのを躊躇した衣類やその他の物資を、会場の後ろのスペースに遠慮ぎみに並べる。物資が有り余るほど送られてきて、開けられないまま山積みになっているという話を聞いて、そのまま東京に持って帰ってフリーマーケットでお金に変えて送った方が良いかもしれないという考えがよぎったからだ。
準備万端整い、お手伝いのみなさんと一緒に体育館の一角で車座になって昼食を取る。停電が続く中、千春さん、ルミさんたちが貴重な食材を使って、心づくしのお弁当を作ってくださった。美味しい美味しいご馳走、ありがとうございました。
唐桑小学校は、避難所にもなっていて、いくつかの教室に数名ずつ、100名余りの方が避難している。会場の体育館には、避難してる方や近隣の方たち約100名の方が聴きにきてくれた。
十数年前に初めて気仙沼でコンサートを主催してくれた弁護士・小野寺康男さんの妻のシゲコさんもコンサートに駆けつけてくださった。一昨年の秋、小野寺夫妻の企画で気仙沼市内にある三カ所の老人ホームをまわり、佐久間順平さんのゲストで歌った。そのひとつの「リバーサイド春圃」は津波で流され多くの入所者、職員の方が亡くなったそうだ。シゲコさんに、他の二カ所の老人ホームに届けてくださるようにお菓子を託した。
午後1時、最初のステージ開演。まずは東京の世田谷から、あちこちの被災地に飛び回って歌っているハンサム判冶さんが3曲歌ってくれる。大きな大きな体躯、マイク無しでも充分響き渡る声量で観客を元気づける。その後、石橋君もインストを2曲。判冶さんとは対照的な静謐な演奏。歌が、音楽が観客の心に染み込んでいくのがわかる。今ここにいる人たちは、どんな状況の中にいて、どんな想いで集まってくれたのだろうか。私もいつもの通りに、でも一層細やかに丁寧に歌わなければ。
今回のツアーのために、レパートリーを少し増やした。その中の一曲が「アンパンマンマーチ」。誰でもが知っているアンパンマンだけど、これがすごい名曲だということは、あまり知られていないかも。もっと子供に聴いてもらえると思ったが、そうでもなくて残念。この日はやんちゃなちびっこがいたので一緒に歌ってみた。

アンパンマンマーチ
作詞:やなせたかし、作曲:三木たかし

そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも

なんのために 生まれて
なにをして 生きるのか
こたえられない なんて
そんなのは いやだ!

今を生きる ことで
熱い こころ 燃える
だから 君は いくんだ
ほほえんで

そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも
ああ アンパンマン
やさしい 君は
いけ! みんなの夢 まもるため

なにが君の しあわせ
なにをして よろこぶ
わからないまま おわる
そんなのは いやだ!

忘れないで 夢を
こぼさないで 涙
だから 君は とぶんだ
どこまでも

そうだ おそれないで
みんなのために
愛と 勇気だけが ともだちさ
ああ アンパンマン
やさしい 君は
いけ! みんなの夢 まもるため

時は はやく すぎる
光る 星は 消える
だから 君は いくんだ
ほほえんで

そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ どんな敵が あいてでも
ああ アンパンマン
やさしい 君は
いけ! みんなの夢 まもるため


2時半終演、大急ぎで後片付けをして、次のステージの鮪立老人憩いの家へ向かう。心配していた物品は、出したものは全部無くなっていた。みなさん喜んで持って行ってくださったそうだ。よかった〜。
鮪立老人憩いの家は、この地区の小さな避難所になっていて、救援物資の仕分け場所にもなっているようだ。コンサートには、50〜60名の方が集まってくださった。
3時半前に二度目のステージ開演。まず石橋君が一曲演奏してくれて、私は「上を向いて歩こう」から始める。年配の方が多く、最初から暖かく、熱心に聴いてくださる。この日徹さんの家に、矢野さんはマンドリン、大清水さんはカメラを忘れてくる。手持ち無沙汰な大清水さんには「手話」を手伝ってもらうことにする。大清水さんのキャラクターに会場も和み、最後の「花」では大合唱となり、アンコールの「小さな空」もしみじみとみんなで一緒に歌う。
どの会場でもお菓子をお配りしたが、手作りのお菓子とメッセージカードは大変喜ばれた。そしてこの会場でも物品を並べたが、みなさんにとても喜んでいただいて、とりわけつくばの高橋京子さんのお仲間が送ってくださったエプロンは、女性の方たちに大人気だった。
終演後、居間に呼ばれて、お茶と漬け物とヨーグルトをいただく。その地区の役員らしい方は、お礼の言葉を述べられながらご自身と朝鮮半島とのつながりについて語ってくださり、心が熱くなった。また、世話役らしい年配の女性からはお土産に手作りのお漬け物と鉢植えの水仙までいただいてしまった。たくさんの「おみやげ」をいただいて、鮪立を後にする。
少し遠回りをして気仙沼湾の辺りを通って帰途につくことにする。昨年の「貝原浩展」の会場だった一景閣 も、なじみのお寿司屋さんも、よくお土産を買い行ったお魚市場も、跡形もない。日が暮れかかった町はさながらゴーストタウンだ。老人の家でもらった暖かさはいっぺんに冷めてしまい、つぶれるような思いで志津川へと向かった。