2月20日 (水)  福島ツアーレポート その4

2月5日(火)
7時半起床。
カーテンを明けてみると、3階から見下ろす家の前には河が流れ、白く雪をいただいた山々が目の前に広がる。「この放射能さえなければ...」と嘆いていた慶子さんの言葉が蘇る。昨晩は暗くてわからなかったが、素晴らしい景観の中の大豪邸だったのだ。
お茶だけいただいてすぐに出かけるつもりだったが、慶子さんが朝ご飯を作ってくれて、朝からものすごいご馳走をいただく。
8時半頃出発。
東京からコンサートを聴きにきてくださったクニエさんを駅前のホテルでピックアップして、会津に向かう。
10時過ぎに河東学園の仮設住宅に到着。会津でのコンサートの世話人の大賀あや子さん、木幡ますみさんも到着。大賀さんはまだ三十代で、大熊町でずっと反原発運動をされて来られ、結婚して新しく家を建てたばかりのところに原発事故に会われたそうだ。木幡さんは小柄でかわいらしい方で、雪かきをしていて転んで足にヒビが入り松葉杖をついてらしたが、車を運転し、雪道を軽やかにヒョイヒョイと歩かれていた。
当初、先にこの会場で音響機材をセッティングしてからタクシーで松長の仮設住宅に移動する予定だったが、集会所が思ったより狭く音響は使わないことに。また天気も良く晴れて雪道も心配なさそうだったので、とんがらし号で松長へ移動することにした。
11時頃、河東学園を出発。みんなで途中ラーメン屋さん「楢葉亭」で昼食。三宅島で開店10年目に被災して楢葉町に移転、また10年目に原発事故で店を追われた75歳の店主が縁があってここで店を開くことになったという。口もお腹も大満足で、松長へ。
12時半、松長近隣公園仮設住宅集会所に到着。この仮設住宅には、大熊町から避難された方たちが住まわれている。40人も入ればいっぱいの集会所はほぼ満杯になった。
午後1時、開演。
まず、木幡さんがご挨拶。
セットリスト。
1あなたが笑っていると
2ふるさと〜京成線
3私と小鳥とすずと
4生きようよ
5上を向いて歩こう
6新相馬節
7会津磐梯山
8チンドアリラン
9ミリャンアリラン
10花
11小さな空

まだまだ歌いたい気持ちだったけど、一時間で切り上げる。この仮設住宅にはミュージシャンは来たことがなかったそうで、みなさんとっても喜んでくださった(と思う^^;)。
以前只見でコンサートを開いてくださったサナエさんもお友達をさそって来てくださって、数年ぶりの再会を喜び合う。

14時15分頃出発
14時45分頃河東学園仮設住宅に到着。
松長からの道を少し間違えて開演直前に到着。こちらの集会所も松長とまったく同じ作りで、やはり大熊町の方々が住まわれている。
15時、開演
木幡さんご挨拶。さっきの会場では少し緊張しておられたか、少しほぐれて冗談なんかも飛ばしている。私も少しリラックス。
セットリストは松長とほぼ一緒で、アンコールに「小さな空」を歌った。
2曲目にみんなで「ふるさと」を歌った時、「帰りたい〜...」と突然泣き出したご夫人がいらした。あの場にいた誰もが胸を締めつけられた。ふるさとを奪われ、避難先でも疎外されて、やりきれなさと怒りを抱えて心も身体もどんなに疲れていることだろう。
終演後、集会所に残ってお茶をいただきながら仮設住宅のみなさんのお話の輪にまぜてもらった。
17時頃河東学園を出発。
仮設住宅でのふたつのコンサートを聴いてくださった只見のサナエさんの先導で須賀川市の伊藤文夫さん宅へ。
18時過ぎ、伊藤文夫さん宅到着。
須賀川から少し山の方に入った鉢の子窯は、夕方から降りはじめた雪ですっかり真っ白になっていた。伊藤さんは私たちのためにおでんやらお刺身やら、大変なご馳走を作って待っていてくれた。蒔きストーブの暖かさの中で、美味しいお酒と音楽とおしゃべりに時間を忘れそうになるが、明日のために先に休むことにする。
21時半頃就寝。

写真1 佐々木慶子さん宅のベランダから
写真2 楢葉亭のラーメン
写真3 仮設住宅(松長)コンサート

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