Diary 2010. 8
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8月29日 (日)  明日はきっと生まれかわれる

毎年恒例になりつつある夏の石川ツアー。今年はその初日の8月19日に金沢市内の少年院に歌いに行った。
事前に院の職員の方が生徒たちの感想文集や院内での生活を紹介する資料等を送ってくれた。その資料から生徒たちの「自分を変えたい」という強い意欲と、職員の方たちの熱意が伝わってきた。1時間のコンサートで何を歌おうか、何を話そうか...、いろいろと考えたけれどなかなかイメージが湧かない。曲目は、小松に向かう飛行機の中でようやく決まって、後は生徒たちの顔を見たらなんとかなるだろう。人は必ず変わることができるということを、自分自身の経験から伝えることできれば。
ギターの佐久間順平さんは、前日の福岡での仕事を終えて、早朝の飛行機で先に小松に向かってくれた。K学院に到着すると、石川ツアーの主催者の山先さんをはじめ、仲間たち5人がお手伝いに駆けつけてくれていた。
いよいよコンサートのはじまり。小学校の教室くらいの部屋に17人の生徒たちが前列に座り、その後ろに同じくらいの人数の職員のみなさん、そして山先さんたちが座る。生徒たちは緊張した面持ちで、肩を少しこわばらせて肘を張って手を膝の上に乗せている。
まずは自己紹介をして、そんなに緊張しなくて大丈夫、大丈夫と言って、1曲目の「あなたが笑っていると」を歌う。もう1曲目から涙がぽろぽろ。なんでいつも私はこうなんだろう。最後の「ローズ」を歌い終えるまで、心がずっとふるえていた。

石川の旅から帰った二日後、生徒たちからコンサートの感想文が届いた。私の拙い歌と話をこんなにも深く、真剣に受け止めてくれた彼らに、感謝の気持ちでいっぱいだ。そのひとつひとつが私にとって大切な宝物になった。

生徒たちに書いたお手紙を紹介します。


K学院の生徒のみなさんへ

暑い日が続いていますが、みなさんその後おかわりなく元気でお過ごしですか?
8月19日のコンサートの余韻がまだ心に残っています。あの翌日から金沢、小松、能登半島珠洲の三カ所で歌いましたが、みなさんとの思い出深い出来事が、ずっと私に元気を与えてくれました。
東京に帰ってきてからずっと、お手紙を書こうと文面を考えていたら、今日、みなさんからの感想文が届きました。
ひとりひとりの心のこもった文章を読んでいたら、心がふるえて涙があふれてきました。ありがとうございます。
あの日、みなさんに伝えたい事はたくさんありましたが、コンサートでは、なるべく重く、暗くならないように、音楽を楽しめるように心がけました。
あの日伝えられなかったことを、お手紙で綴らせてくださいね。
懇談会の時に「なぜ歌が歌えなかったのですか?」という質問がありましたが、その答えが少しわかりにくかったかもしれません。
私は在日韓国人1世の両親のもとで、六人兄弟の末っ子として生まれました。父も母も幼い時にそれぞれの両親とともに日本に渡って来ました。学校に通う機会がなく学歴もないので、就職もできずにいろんな商売をしましたが、私が生まれた頃には廃品回収業を営んでいました。両親はとても深い愛情で私たち兄弟を守り、育ててくれましたが、私は物心ついた頃から、朝鮮人であること、両親が無学であること、バタ屋(廃品回収業の蔑称)を営んでいることをとても恥ずかしく思うようになりました。そして、お酒を飲んでは大暴れする父に殺意を抱くほどの憎しみを持つようになりました。
高校生になって、自分に少しばかり音楽の才能があることに気づいた時、この力を利用して、自分を取り巻くすべてのものから逃げ出そうと決心しました。目標はオペラ歌手になることでしたが、まず音楽大学に入るためにがむしゃらに勉強しました。不純な動機です。歌で誰からも認められる人間になれば、自分の生い立ちも家族のこともすべて消してしまえると思ったのですね。
その頃、母は重い病気で入退院を繰り返し、私が大学に入学する半年前に亡くなりますが、私は受験勉強に必死で、ほとんどお見舞いには行きませんでした。自分の欲のために母を見殺しにしたのです。
私は念願通り音楽大学に入学しましたが、その頃から心のバランスを少しづつ崩していきました。他者に心を閉ざしどんどん自分を否定するようになっていきました。その頃は、その原因をいくら考えてもわからず、どんなに自分を変えようともがいても、どうすることもできませんでした。
あの頃、もしも私にもっとエネルギーがあったのなら、他人を傷つけたり、或いは自分自身を傷つけたりしていたかもしれません。
あれから約30年かけて、たくさんの恵まれた出会いと、出来事があって、少しずつ、少しずつ、自由に生きられるようになりました。そして、その力を利用してなりあがろうと思っていた「音楽」がいつも私を助けてくれました。
定時制高校で働いていた時も、学校へ歌いに行く時も、みなさんの前で歌った時も、生徒たちが愛おしいと感じるのは、その姿の中にかつての自分自身を見ているせいかもしれません。
大丈夫、大丈夫、と思い切り抱きしめたい気持ちでいっぱいになります。
送ってくださった感想文の中に、「ありのままの自分というは、幼少時代の真っ直ぐで純粋な心の事だと思うのです」という文章がありました。その通りだと思います。私が詩人の山尾三省さんから気づかされたことも、まったく同じことでした。「自分のまんなかには、尊い魂がある」。「魂」という言葉が分かりにくければ、「本当の自分」と言い直してもいいかもしれません。私は、自分の中に尊い自分を見つけて、ようやく人前で歌を歌えるようになったのだと思います。
それから「君が笑っているとなんだか嬉しくなります。君が泣いているとなんだか悲しくなります。近くにいても遠くにいても君が生きている、それだけで、嬉しいんです。・・・全ての人の心には、必ず”君”がいて、誰もが必ず誰かの”君”であるのではないかと思いました。・・・」。誰もが必ず誰かの”君”であることに気づくということは、「私」と「君」の間に垣根がないということに気づいたということですね。そう気づく時、人はもう誰も傷つけられなくなります。
さっき「恵まれた」という言葉を使いましたが、実は「恵まれた」、「恵まれない」というのは、その心の受け止め方次第なのだと思います。自分に起こるすべての事を肯定できれば、世界はまったく違う姿に見えてくるでしょう。
「行き先はわからなくても、とりあえず歩いてみようという歌詞は本当に今の自分にぴったりだと思いました」という感想もありました。
私も、一歩一歩、精一杯歩いて行きたいと思います。
みなさんも、「アリアリラン、スリスリラン」と口ずさみながら、それぞれのアリラン峠を越えていってください。

最後に、みなさんに会えて本当によかったです。
ありがとう!

2010年8月25日 李政美





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