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3月16日 (火) 韓国(ソウル、清州、釜山、慶州)の旅1
3/16日から23日まで、韓国(ソウル〜清州〜釜山〜慶州)へ旅行に行ってきました。 「おいで、みんなここへ」を作詞した考古学者の佐古和枝さんに誘われて、妻木晩田弥生塾の修学旅行(釜山〜慶州)に参加しました。その前後、ソウルと清州へも。 7泊の長い旅だったのに、何故かいつも時間に追われて、睡眠不足の慌ただしい旅になってしまいました。旅の間、daum cafeのニョンヨさんやケピーさん、チェウギさんがずっとサポートしてくださり、とても助かりました。どうもありがとう。 3月16日(火)夕方、仁川到着。バスで市内に行くつもりだったのに、チェウギさんの車で一緒にニョンニョさん、バスで追いかけるようにケピーさんまで空港に迎えにきてくれました。感謝、感謝です。 そのままソガン大学で開かれたホンセホァ氏の「韓国で暮らすということ」という講演を聞きに。前の晩徹夜だったため、半分意識を失った状態で講演を聞いていたので(私の韓国語の能力も相俟って)何が何やらよくわからないまま、いつの間にか講演は終わっていました。それでも印象に残ったのは、ホンセホァ氏のお話しの上手さもさることながら、講演参加者の積極性と達弁。質問コーナーでは、大学生からお年寄りまで、まるで授業参観の時の小学生のように(失礼!)あちこちでハイハイ手は上がるわ、しゃべり出したら止まらないわ、で、日本での講演会の雰囲気とは随分違うなぁ、と思いました。 数日前の大統領弾劾の影響もあって、熱気のある講演会でしたが、ホンセホァ氏の話しの中心は、「社会が成熟するためには、ひとりひとりの意識を高めなければいけない」ということだったような気がするんですが、う〜む、じゃあ、そのためには具体的に私はどんな方法で何をすればいいのだろう?と考えながら帰ってきました。 講演終了後、韓国の芸能界で仕事をしている甥フィーファンと合流して、みんなで夕ごはんを食べました。この日のメインはキムチサムギョプサル。熟したキムチと豚の三枚肉。ウ〜ン、韓国の豚肉はほんとにおいしい。 高校生の時からモデルの仕事をしてきた甥は、去年の春に韓国の芸能事務所にスカウトされて仕事をしています。去年1年間は海外同胞のための語学学校にも通い、新鮮で楽しいソウルでの生活を過ごしていたようですが、時間が経つにつれ、日本と韓国の文化や風習の違い、芸能界の仕事の大変さに、少しずつストレスもたまってきているようです。それでも、やさしい顔に似合わず、根性のある甥を見ていて、頼もしい青年に成長したなぁと、おばさんの私としては、少しうれしい気持ちになりました。フィーファン、がんばれ! 甥やみんなと別れて、1月からお世話になっている仁寺堂の「ウリチプ」へ。久しぶりに「ウリチプ」のお母さん朴仁淑さんと再会。いつも旅に出るとホテルの部屋ではなかなか眠れないのに、古い韓国家屋を改築したゲストハウスのこの家では、安心してぐっすり眠ることができます。伝統的な韓国家屋は、部屋の間取り、広さ、中庭の土に至るまで、人間が安らげる空間を綿密に計算して建てられていると聞きました。なるほど、それでいつも我が家に帰ったように、くつろげるんだね。この晩も、朝までぐっすり眠ることができました。
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3月18日 (木) ナヌムの家を訪問
3月18日(木) ナヌムの家を訪問。ニョンニョさんの友人で、金浦の小さな教会の牧師さんチェホビョンさんとそのご婦人が、わざわざ車でナヌムの家まで案内してくれました。 ナヌムの家には、去年の4月に初めて訪れ、5月のオボイナル(父母の日)に矢野さんと一緒に訪れて歌い、今回は3回目の訪問になります。昨年の7月のソウル公演の時は、バスに乗ってみんなでコンサートを観にきてくれました。
最初の訪問の時、お茶と和菓子を持っていったのですが、職員の方に「おみやげは、できればひとりにひとつずつ」と言われてしょんぼり。次の訪問の時は、ハンカチを人数分持っていったのですが、「あっちの模様の方がきれい」と言われしょんぼり。今回こそは、と思って小さな小銭入れをおみやげに持って行ったのですが、数がそろわず、やっぱり「あっちの方が・・・」と言われ、またまたしょんぼり。次回は絶対失敗しないようにしよう。
現在、ナヌムの家には9人のおばあさんたちが暮らしています(私は、亡くなった母と同じくらいの年齢の彼女たちをいつもオモニと呼んでいます)。 年々高齢化が進み、あちこち身体の具合が悪くなる方も多いようです。去年はお元気だったひとりのおばあさんは、体調を崩して入院中に病院の看護ミスで足に低温火傷を負い、24時間看護が必要になってしまったため、そのままナヌムの家には戻れなくなってしまったそうです。 医療看護設備の整った施設を併設するために、ナヌムの家の隣に敷地は購入したものの、資金が無く、施設を建てる見通しはまったくたたないそうです。 日本で、施設建設のための支援コンサートを年内にできたら、と思っています。
事務所で職員の方と話していたら、イヨンスさんが入ってこられてびっくり。イヨンスさんは、数年前にナヌムの家を出られ、今はテグ(大邱)に住んでらっしゃいます。6年前に私の住んでる葛飾の町に講演をしにいらした時に初めてお会いして、その後、私が講師を務めていた南葛飾高校にも、生徒たちに話しをしに来てくれました。 講演会の打ち上げで、「将来弁護士の資格を取って、法律の専門家として従軍慰安婦問題を解決したい」とおっしゃっていた言葉が深く印象に残っています。
5時からの夕食を一緒にご馳走になって(蠣とほやのお刺身、おいしかった!)、史料館を駆け足で見学して、きっとまた遊びにきますとみなさんに約束して、ナヌムの家を後にしました。
従軍慰安婦問題は、韓国人にとっても、日本人にとっても、暗く深い傷痕として残っています。 数年前の東京でのコンサートの時に、「あなたの歌が好きだったのに、ステージからカミソリを投げつけるなら、僕は日本刀で切り返す」というアンケートが返ってきました。従軍慰安婦をテーマにした、ハンドルさんの「トラジの花」を歌ったことに反応した言葉です。 「トラジの花」を歌う私や、聴くあなたの「痛み」がいったいどれくらいのものだろう。戦争によって直接傷ついた人たちの痛みを、どんなに想像力を働かせても、同じように痛むことはできないかもしれない。 でも、あなたは私だったかもしれない、という感覚を失わないために、またオモニたちに会いに行きたいと思います。
写真(ちょっと大きすぎ。ごめんなさい) 左から、神宮寺のみさちゃん、コムンゴの天才少年ジョンゴニ、ホビョンさん、そのご婦人(名前を失念、ごめんなさい)
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